春日野に煙立つ見ゆをとめ等し春野の菟芽子採みて煮らしも 作者不詳
春日野《かすがぬ》に煙《けぶり》立《た》つ見《み》ゆ※[#「女+感」、下-35-10]嬬等《をとめら》し春野《はるぬ》の菟芽子《うはぎ》採《つ》みて煮《に》らしも 〔巻十・一八七九〕 作者不詳
菟芽子《うはぎ》は巻二の人麿の歌にもあった如く、和名鈔《わみょうしょう》に薺蒿《せいこう》で、今の嫁菜《よめな》である。春日野は平城《なら》の京から、東方にひろがっている野で、その頃人々は打連れて野遊に出たものであった。「春日野の浅茅《あさぢ》がうへに思ふどち遊べる今日は忘らえめやも」(巻十・一八八〇)という歌を見ても分かる。この歌で注意をひいたのは、野遊に来た娘たちが、嫁菜を煮て食べているだろうというので、嫁菜などは現代の人は余り珍重しないが、当時は野菜の中での上品であったものらしい。和《なごや》かな春の野に娘等を配し、それが野菜を煮ているところを以て一首を作っているのが私の心を牽《ひ》いたのであった。